最近、無理なく肉の摂取を控えるために提唱されている「ミートフリーマンデー(Meet Free Monday)」運動が話題を集めている。元ビートルズのポール・マッカートニー氏が立ち上げたこのキャンペーンは、週に1日だけ肉を食べず菜食を実践することで、気候変動の加速を食い止め、資源を守り、多くの動物の命を助けることができる。また、より健康な身体を手に入れるためにも有効な手段だ。

日本では、内閣府が2017年3⽉より毎週⾦曜⽇をミートフリーの⽇として、食堂でベジタリアン・ヴィーガンメニューの提供をはじめたことで話題になった。なかでも注目を集めているのが「ヴィーガン海鮮丼」だ。魚介類ではなくプラントベース食品(植物性食品)のみを使い、味も見た目も海鮮丼を再現している。

この海鮮丼に使用されているヴィーガンいくらである「プチル(業務用向け商品名:みずたまご)」を開発・販売しているのは、柑橘農園を運営している株式会社Mr.Orangeの永井香織さんだ。今回はプチル開発の背景やその想いについてお話を伺った。

一番左が永井さん。隣は一緒に農園を営むご両親、安田昌一さんと千賀子さん

他には無い新しい食材を作りたい。自宅リビングから始まった1からの挑戦

株式会社Mr.Orangeは、熊本県水俣市で20年以上柑橘類をつくっている家族経営の果物農園だ。農薬や除草剤を使わず、自然に逆らうことなく共生していける農法を実践している。いったいなぜ柑橘農園がヴィーガンいくらの材料を開発することになったのだろうか。

「農薬を使わずに栽培していると、虫に食われたり形がいびつになったり、規格外の果物が一定数出てきてしまいます。そうした果物をなんとか有効活用できないかと思い、ジャムやジュースに加工をしていたのですが、ほかの農家さんも考えることは同じ。今までにない、新しくて楽しいものを作らなければという想いが日に日に増していくなかで、ある日思い付いたのが、果汁を粒々にするというアイデアでした。いくらのようなプチッと弾ける食感で、時間が経っても固まらない粒々があれば食材として面白いものになるのでは、と考えたんです。」

すぐにロートやビーカーなどの実験器具を用意し、開発を始めた永井さん。果樹園の仕事を終え、夕食を済ませた後、自宅のリビングで夜な夜な実験を繰り返したという。

プチル(業務用商品名:みずたまご)

最先端の調理技術を誰でも気軽に。自由な発想を形に

苦労の末、弾ける食感の再現には成功したものの、どうしても時間が経つとゼリーのように固まってしまう。新商品の開発を支援する行政の窓口を訪れて相談するも、「時間が経っても食感が変わらないものは作れない」と断言されてしまったという。

「『できない』と言われても、諦めるつもりはありませんでした。どうにかお客さまに喜ばれるものを作りたい一心で実験を繰り返し、とうとう時間が経っても食感の変わらない粒々をつくることに成功したんです。原料には海藻から採れるアルギン酸を使っています。アルギン酸は海藻由来のものでも食品添加物に分類されてしまうので、無添加にこだわっている私たちにとっては、使うことに抵抗がありました。しかし、化学添加物ではないことやアレルギー物質を含まない安全な素材であることがわかり、お客さまに安心して届けることができると考えました。」

さらに、海岸に打ち上げられた漂着海藻から採れるアルギン酸を使用することで、近年問題になっている漂着ごみ問題の解決にも貢献することができる。早速、サンプルをシェフやバーテンダーの方々に使ってみてもらったところ、「ぜひ使ってみたい」と好評を得ることができた。一方で、ほぼ全員から「柑橘以外の味のものも欲しい」と依頼されたという。

「規格外の果物を活用するために始めた開発なので、柑橘類以外の味を付けるとなると、本来の目的からは外れてしまいます。確かに柑橘味でも皆さん喜んでくださいましたが、もっと喜んでいただけるなら、とさらなる開発に挑戦してみることにしました。醤油味やミント味、コンソメ味などさまざまなご要望があるなかで、どの味を作るかなかなか決まらず悩んでいたところ、ある日『何味にもできる』ものにすることを思いつきました。」

もともと、ソースなどをゼラチン質の膜で覆い球状にする「スフェリフィケーション」と呼ばれる調理技術が存在するが、特殊な技術が必要とされることから、日本ではごく一部のレストランでしか使われていない。色々な味にして使うことができれば、料理・スイーツ・ドリンクなどジャンルを選ばずに、誰でも簡単にスフェリフィケーションを再現することができる。

ここまでの開発である程度のノウハウが完成していたこともあり、開発開始から約2年半、2017年末に商品として熊本県の商談会へ出品。翌年の春からは全国での販売も開始した。

「食を楽しむ」ことが、日々の元気につながる

「発売を開始して以来、多くの方にお使いいただき、シェフの方から『感動しました!』とわざわざお電話をいただくこともあり、嬉しい限りです。2017年の発売当初は『インスタ映え』という言葉が全盛期の頃で、プチルもインスタ映えするユニークな食材として注目されていました。しかし最近では、食の多様性に対応したサステナブルな植物性食品としてご紹介いただく機会が増えています。ベジタリアンやヴィーガンの方々だけでなく、魚卵などにアレルギーのある方々にも安心して食べていただけます。」と話す永井さん。現在、レストランや食堂などで使われているプチルだが、今後は病院や介護施設などでの活用も視野に入れているという。

「嚥下障害や歯の悪い人の食事は、どうしても味が単調になりがちです。肉や魚などを噛んだり飲み込んだりできない人にも、プチルを使えば味だけでも楽しんでもらえます。また、塩分コントロールの必要な人にとっても、粒の数で塩分を把握することで、より管理がしやすくなります。体に不自由があっても、食を楽しむことで少しでも元気になってもらえるのではと考えています。」

Mr.Orangeの公式サイトでは、少量からのお試し購入ができるるうえ、詳しい使い方動画や、レシピ紹介も掲載されている。今後の展開としては、サイズ違いのものや、最初から味付けされたものなど、いくつかの企画が動き出しつつあるという。

作る人も食べる人も元気に楽しく。人の心と身体の健康に貢献できる仕事がしたい

永井さんが食に携わる上で考えの軸になっているのが「安全性へのこだわり」と「誰もが食を楽しく」だ。かねてから有機農家を営み、こだわりの果物を消費者に届けてきた経験から自然に身についたものだという。

「農薬を使用した慣行栽培と有機栽培では、同じ栽培面積でも出荷できる作物量が全く違います。農薬を使わないことで、10年以上掛けて大事に育てた樹が、虫害で駄目になることも珍しくありません。それでも安心して食べてもらうため、自然に逆らうことなく共生していける農法を実践しています。現在、株式会社Mr.Orangeの代表は父が務めているのですが、祖父の代までは農薬を使って栽培を行っていました。ある日、父が除草剤を使っていたところ、突然具合が悪くなったそうです。祖父の遺した農業日誌を見返したところ、祖父も除草剤を使った後に体調を崩していたことが分かりました。『作る人にとって良くないものは、食べる人にとっても良いはずがない』と思い至った父は、それから5〜6年かけて徐々に農薬を減らし、無農薬栽培に切り替えたのです。」

「また、水俣市は過去に大きな公害を経験しています。今ではそれを乗り越え、環境に配慮し自然との共生を目指す日本でも有数の環境モデル都市となっています。そうした背景も、私たちの食に対する安全・安心への想いにつながっています。」

Mr.Orangeの安全・安心への想いは、ユニークな手法での除草と土づくりにも反映されている。除草剤の代わりに草刈りを担っているのは、15羽の七面鳥だ。七面鳥たちは雑草や害虫を駆除し、その排出物は長年かけて作り上げた土壌をさらに豊かにしてくれるという。


「飼育の手間はかかりますが、この七面鳥農法を取り入れることで、人にも環境にやさしい土づくりができます。稲作で行われている合鴨農法から着想を得て、ビニールハウスの中に色々な鳥を放して試してみたんです。他の鳥と比べ、七面鳥は土を掘り返したりしないので、大切な樹の根を傷つけることもありません。一箇所に留まらず動き回って色々な場所の草を食べてくれる、という面でも七面鳥は優れた従業員です。」

柔軟な発想で、前例のない事にも果敢に取り組む姿勢は、プチルという新しい食材を開発し、生み出したチャレンジ精神にも通じている。

Mr.Orangeの描く「夢のある農業」を目指して

最後に永井さんに、今後のMr.Orangeのものづくりと新たな課題について伺った。

「農家にとって深刻な問題となっているのが食品ロスです。最近は方々で食品ロスの問題について取り上げられていて、『日本では、1人1日お茶碗約1杯分(約136g)の食べ物が毎日捨てられている』と言われていますが、この中に農家で捨てられている規格外の作物は含まれていません。行政の聞き取りが行われたこともないので、実際の数字はわかりませんが、無視できない量であることは確かです。農家の方々もこのままではいけないと思ってはいるけれど、日々の生産に精一杯でどうにかする暇がありません。苦労して育てた作物の市場価格を維持したまま、この食品ロスを解決するのは一筋縄ではいかないことは分かっていますが、農業者の立場から新たな仕組みづくりを考えなければいけないと思っています。」

「また、農家の高齢化も深刻です。今、農業従事者の平均年齢は67.8歳。10年後20年後のことを考えると、農業自体をもっと夢を持てるような仕事にしていきたいと思っています。そのためにも、自然に寄り添うものづくりにこだわるのと同時に、作り手である自分たちの“楽しさ”も大切にしています。プチルのような新しく楽しい食材のことや、自然の恵みを最大限活かしながら果実を育てる喜びを発信していきたい。実際に父は、毎日農業の仕事が楽しくてしょうがない、好きだからやっている、と言いながら果樹園へ行っています。私も、プチルの展開商品や全く異なる次の新しい企画を常に考えています。」

編集後記

今回、永井さんにプチルの開発と有機農法の取り組みについてのお話を伺った。はじめは、「なぜ柑橘農家の方がヴィーガンいくらを開発したのか」と不思議に思ったが、永井さんのお話を伺い、「誰もが安心して食を楽しめるように」という一貫した姿勢と「より多くの方に喜んでもらいたい」という気持ちを形にするチャレンジ精神が、プチルと有機農法の両方に通じているということが良く分かった。この姿勢はSDGsの基本理念“誰一人取り残さない世界の実現”にも当てはまる。「人の心と身体の健康に貢献できる仕事がしたいんです」と笑顔で話す永井さん。Mr.Orangeが考える「夢のある農業」から目が離せない。

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【参照サイト】 Mr.Orange
【参照サイト】 農業従事者 過去最大39.6万人減-2020農林業センサス
【参照サイト】 消費者庁:食品ロス削減関係参考資料

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